「やってきました、こんにちはー!」


体いっぱいに風を感じながら、叫んだ俺が立つのはここ。洋一や真尋、敬矢、そして皐月からあれこれ聞きだし、かの偉大なゴーグル先生に道案内を託しながらやっとこさ到着した。もう誰も使っていない廃ビル。

コンクリートの階段を十数段駆け上がって、開いたままの屋上へとつながる扉を抜ければ、見たこともない景色が広がっていた。自分の生まれた町をこんな高いところから見るなんて、俺も偉くなったもんだな。どこがカフェでどこが敬矢と真尋がいる雑居ビルで、どこが洋一の家?最近知った場所なのに、いや、そうだからなのか、目を見張って探した。


「ん~ないな」


探そうと思ったけれど面倒でやめた。探さずとも、実際に行けばいいことだし。

気分が良くなった俺は、愛用しているナイロン製のジャージのチャックをこそこそと下ろし、袖から腕を抜いた。一回やってみたかった。肩掛けジャージ!

時折吹く風が心地よくて、なお気分が上がる。どうしてこんなに世界を征服したような気持になるんだろう。世界征服したことないけど!


「何、それ」

「え、これ?覇王みたいでしょ!?」

「覇王ねえ、王なんかより、労働者になるべきだと思うわ」


一人、年甲斐もなくかっこつけていると隣で声がした。皐月だ。なんでいるんだ。俺、一人でばれないように来たのに。


「ゆうちゃん、ここには来ない方がいいってあの三人言ってたけど...」

「だめだって言われてやりたくなるのが人間ってもんでしょ!」

「そういうことじゃないと思うわ」


皐月の声は淡々としていて、冷静だった。なぜだろう。顔が見れない。まっすぐに町を見下ろしたまま、会話は続いた。


「...正直なことを言うと、なんか、思い出すかなって。俺もバカじゃないからさ、気づくって。俺とあの三人は、昔、なんかあったんだよな?」

「隠してる風ってわけでもないけど、今の話じゃなくって、『昔の話』ってなると、うまい具合に話そらすんだもん。気になるじゃん、俺だけ仲間外れみたいでさ。秘密の共有は、少年心をくすぐるわけですよ」


洋一、敬矢、真尋。三人と話しているときの三人の表情やしぐさが一気に流れ出す。顔は笑っていても、気まずそうで。特に、真尋なんか隠せてない。もう一人の友達の存在。


「で、なんか思い出せそう?そうね、私も嘘はつくつもりないし。昔のこと忘れちゃったあんたには腹が立って仕方がないっていう節もあるし。知りたいなら、教えてあげないこともないわ。でも...」

「でも?」


皐月がそこで黙り込んで、左を向いて一、二歩程度俺から離れた。気になってそちらを向くと、頭を下げて考え込んでいる様子で、どこか苦しそうだ。


「でも、いや!いやね!やっぱり嫌よ!」

「えっ!?」

「私から教えるなんて、そんなやすやすと教えてあげるもんですか!もう立派に成長したんだから、自分でなんとかしなさい!自分で、本当の仲直りをしなさい!」


「仲直り」彼女のその言葉に、すっと脳裏で何かが引っ付いたような感覚を覚えた。皐月の必死な顔に、俺が病室で目覚めたときのことを思い出す。あの時もこんな話をしていたっけ?


「う~~ん!!じゃあわかった!俺さ、これから、昔のこと、少しずつ思い出していこうと思う!でも、俺、死ぬまでに何を思い出せばいいかわかんない!!」


不必要に大声で叫んだ。皐月のさっきの言葉は、俺への後押しになった。最近気がかりでどうしようもなくもやもやしていたこと。ちょっと叫んでみただけで、随分と楽になった。


「うっさいわよ!でも、そうね!そう言ってくれて、わたし、嬉しいわ。__くんも報われる」


皐月の声はだんだん小さくなって、最後の方がうまく聞き取れなかった。そして、ほのかに橙に染まる夕陽に照らされて、あたたかい粒を瞳から零した。



先ほどから吹く風が頬の産毛をなぞる。みつあみもそれに続いてそっと肌をさする。

なんだか急にこのみつあみが愛しくなってきた。そういえば、どうしてこんなところで結んでいるんだっけ。俺、めちゃくちゃ不器用だから、こんなのやろうとも思わないはずなんだけど。なんでだっけ。


「なあ、皐月」

「なに」

「このみつあみは、皐月がやってくれたの?」


俺の周りにいる、器用で世話焼きで昔から見守ってくれていた人といったらこの真のしっかりした彼女しかいない。あながち間違いとは言えないと思う。結構自信満々だったのだが、皐月は


「えっ...」


必要以上に、予想以上に驚いた様子だった。一瞬顔が強張って、自分を宥めるように地面に目をそらした。


「違った...かな」

「ごめんなさい、私、ゆうちゃんが...」


ゆうちゃんが、なんなんだろう。このみつあみは皐月にとって、俺にとって一体なんなのだというのだろう。てっきり自分は、「幼いころ、少し年上のお姉ちゃんが俺を面白がって可愛く髪をいじってくれて、存外、気に入ったのでそのままにしている」ということだと思っていた。記憶から引っ張り出してきたわけではないので、そりゃ、不確かなんだけどさ。


「ゆうちゃんが、なに?」

「もう一回、聞いてもいいかしら


何をだろう。


「_____本当に、花園琉輝を思い出せないの...?」


 


「でも、夕緋は秋田夕緋は、花園琉輝が思い出せなかったのよ!?」


それは、悲しいと思う。

現にその場に立ち会ったわけではないけれど、いざそういう現実があったと知ると、喪失感というのか、なんというのか、言葉が出てこない。


「るき...?もしかして外国の人?俺もしかして、昔は英語ペラペラだったの!?」


皐月さん曰く、夕緋は彼女の言葉に続けてそういったらしい。お前の大脳新皮質がペラっペラっちゅうの。

しかし、俺たちはどんなに夕緋が昔を覚えていようがいなかろうが、すべてを受け止めると決めたのだから、「あいつほんまアホやな」と言っておいた。


「ずっと聞きたかったんや、皐月さんは仲直りしたとして、どうしてほしいのか」


なかなか、下劣なことを聞いていると思う。最低最悪の悪魔や。だって琉輝は、


「____亡くなっているのよ...?命が」

「本当はここにおるはずやった。一人の青年がなあ」

「十分わかってるじゃない」

「ああ」

「そしてね、ゆうちゃんも過去に葬られたの」


カーンと、リンをたたく音がどこからともなく聞こえてくる。背後では、懇意にしている坊さんの淡々とした読経が始まった。今日はうちのひいじいちゃんの弔い上げだ。以前坊さんに聞いた、「読経は亡くなった方のためではなく、残された人たちが幸せになれるよう教えを説いたものだ」と。だから、「人が亡くなるという事実から、今を生きる自分たちは尊いのだと確認し、尚幸せに生きようと思えるようにに読まれている」と。後者はその坊さん独自の考えだったと思う。

五十回忌だから参列しようと思った矢先、皐月さんが来たので、後ほど、仏壇に手を合わせよう。


「どんなに抗っても琉輝は戻らんし、夕緋が記憶を取り戻すとも限らん!それに、俺たちが不幸なままいるより、幸せに楽しくやってたほうが琉輝も本望とちゃう?」

「私、それはきれいごとだと思うの」

「ほーん」

「これ、私が少しずれているの...?」

「いや、俺はそんな風には思わんけど。だって人の生き死にがかかってるんやで?捻じ曲げられない観念があって当然やと思うわ」


強張っていた皐月さんの顔はごくわずかに穏やかさを取り戻した。きっと、夕緋の言葉や俺の言葉とのずれが彼女を惑わせていたんだろう。そして、疎外感までもを感じていたんだと思う。肯定されないことが何より堪える。


「それじゃ俺、法要に行ってくる」

「本当に今日はお邪魔してしまったわ...あなたたちを見守る責任を負ったものとして、私も手を合わせさせてくれるかしら...。洋一君のひいおじいさまのこと、直接は知らないけれど、今日まさかこの時間に偶然に訪問してしまったっていう巡りあわせがあったんだもの...!」

「はは、保護者やないねんから、そう気い負わんといてや。ま、じいさんもにぎやかな方がええと思うし」


少し口実に無理があるのを自負しているらしい。焦った様子で立ち上がり、「ああ、お茶ごちそうになったわ。今度、カフェでバボ猫のラテアートをご馳走させて...」と襖に手をかけていった。「バボちゃんかあ、あんまし好きやないけど飲ませていただくわ。それと、そっち出るとこやないで」正しい出口の襖を開いて、ラテアート無料の一言に返事をした。

「通りで違和感があると思ったわ」つくづくこの姉ちゃんもアホやなと思う。